「ぶつからない」
大東流にの稽古では、よくそう注意されます。
大東流だけでなく、他の合気系の武道も同じではないでしょうか?
たとえば、小手を掴み押してくる相手に押し返さず、引いてくる時も同じように抵抗せず引かせる。
つまり相手の力に対して抵抗しないような状態ですね。
そしてそれは相手を投げる時も同様です。
各道場によって解釈は異なるかとは思いますが、これは大東流の基礎として基本中の基本みたいなもので、私が習った道場では最初から基本のひとつとしてずっと稽古していました。
稽古の目的はと言いますと、ひとつには「相手を反応させない動き」を稽古しているのであります。
人というのは無意識下では膨大な情報を感知していると言われています。
一説には普段の意識上に上がる情報の10万倍の情報を無意識下で処理しているなんて言われています。
10万倍の情報とはまた驚くべき膨大な量です。
あまりにも膨大な情報量なので全部を意識にあげていてはとても活動はできません。
なので無意識が自動的に取捨選択して、重要なものだけをピックアップして意識上に上げるのですが、もしこれが本当なら人が意識的に自覚している情報は、ほんのわずかしか無いということになります。
そしてさらに自動化というのもあります。
こういう時にはこう動く、と一定の動きは自動化されていて意識せずとも身体が動いてしまいます。
身体は勝手に動いているんですよ、なんて言うと、なんだコイツ怪しいヤツだな、みたいな顔をされるのですが、いざ稽古を始めてみると皆そのことを痛烈に実感するのです。
大東流では自らもそういった”当たり前”の動きをしないことで、相手の自動化している動きを反応させない訓練をするのです。
この動きが大東流を稽古するにあたってのベースのひとつになるのですが、これがまた非常に難しく、かつ非常にやっかいなのであります。
なにせ無意識の動きなので、そんな簡単には制御できるものではないのですね。
頭ではどんなに分かっているつもりになっていても身体はそうは動きません。
ひたすら稽古して、自分の肉体感覚で掴み取るしかないのであります。
何かの秘訣を聞いたら使えるようになるとか、ちょっとしたコツを聞けばできるようになるとか、そんなのは漫画の世界の話でありまして、現実は地道にコツコツ稽古を積み重ねたその先にしか無いのであります。
こういった身体の反応は心もまた同じで、何か気に障ることを言われたら即座に怒りの感情が湧いてきたりと、何かの出来事に対する自分の心的反応も同様の原理なのであります。
そしてそれらは無意識なだけに、自分が反応で動いていることにすら気づかないのですね。
余談ですが、人というのは一日の活動している時間は思った以上に無意識下で自動的に動いていて、それはまるで寝てることと同じようなものかも知れないなあ、なんて思ったりもします。
そして何より大東流の稽古が難しいのは、同時に求められる要素がそれだけではないからなのであります。
とまあ、分かったふうな事を偉そうに述べてしまいましたが、こういった事は師匠から説明されたことは無く、あくまで私自分が稽古を続ける上で考察していったもので、全く浅いものだと自覚しておりますし、もしかしたら勘違いしているかも知れません。
武道の稽古はある意味、主観的に捉える必要があり頭ではなく身体で理解すべきものなのですが、とは言えあまりにも説明が無いと一体自分がどこへ向かっているのかわからなくなるんですよね。
自分の考えを捨て、よそから持ってきた理屈を当てはめようとせず、ひたすら”没頭”して稽古することが肝要なのですが、そんな事言ってる自分はそれを出来ているのか?!と問われますと、そこはちょ~っと怪しいなあと冷や汗をかくのであります。
大東流合気柔術 天山道場
Dito-ryu AikiJujutsu Tenzan Dojo
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