私は毎月1回、知人と山登りに行きます。
登る山は片道2時間くらいの小さな山ばかりで、のんびり登って頂上でお弁当を食べて帰ってくるだけ。
登山というほどのものではなく、ちょっとした山登りです。
山の緑を楽しみつつ、しょうもない世間話をしながらちんたら登るので歩みはやたら遅いのですが、とくに急ぐ理由もないのでぼちぼち休憩しながら自分たちのペースでえっちらおっちら登るのであります。
そんな小さな山ではあっても先人が設置してくれた登山道があり、そのおかげで迷うこともなく比較的楽に頂上へたどり着くことができます。
一直線に登れるのなら距離的には一番山頂に近いのでしょうが、途中には大きな岩や崖や絶壁、歩けないほどの雑木に覆われていたりと非常に危険で、私のような山の素人ではそんなルートではとてもじゃないですが、登るのはもちろんとても頂上へはたどり着けません。
登山道はそんな危険な場所を迂回しながら続いていて、ときには登りなのに下る道もあり、一見遠回りに思えても結局は一番の近道だったりするのであります。
こうやって山を登ってると、武道の稽古も一緒だよなあ、としみじみかんじます。
稽古を始めた頃は何か秘訣があるはずだ、コツがわかればできるはずだ、とやたら本や動画を見て知識先行の頭でっかちになりがちです。
それは登山において近道を登ろうとする行為と似ています。
それなりの経験と才能があれば別ですが、私もそうでしたが始めたばかりの人のほとんどは素人同然です。
まずは稽古をある程度やり込んで技ができる身体をつくり、それがわかる感覚をみがいてゆく方が先決ではないかと思います。
まあとはいえ、その知識は無駄とも言い切れないんですが、ただそれは
「知ってるだけで解ってないかも・・・」
と常に自重し、知識はあとから付いてくるわい、というくらいのかんじでちょうどよいのであります。
頭で知ってることと身体で解っていることは違ったりするんですよね。
まずは一歩一歩地道に稽古を積み上げていく方が結果的に近道となりますし、その積み上げた経験こそが自分の力となりその先へ続く礎となるでしょう。
たとえヘリコプターで一気に頂上へ行ったとしても、そこに感動はなく山へ登るスキルも身についてはいません。
結果も大事ですが、稽古においてはそこまでの過程の方がより深い意味を持つように思います。
余談ですが、いつか自分に寿命が来て人生を思い返す瞬間が来ることがあったとしたら、結果よりもそれまで歩んできた過程やその途中で出会った人々との思い出ではないかなあ、と思ったりするのであります。
先人が作ってくれた登山道に感謝しつつも、ああしんどいとかモチベーションが続かねーとか、ああだこうだ言いながら息を切らして歩き続け、やがて目指す山頂へたどり着いた!と思ったらそこは頂上ではなくて、その先にもっと高い頂きが現れて愕然とするのでありました。
大東流合気柔術 天山道場
Dito-ryu AikiJujutsu Tenzan Dojo
0コメント